身の周りの発達障害の人々

 

小学生時代

Nちゃんとしておこう。

彼女は ダウン症で、このクラスと特別学級(知的障害)にいた。

彼女の母親が来て、ダウン症に関する講演をした。
遺伝子疾患で 成長はしないが、笑顔をくれる みたいな ことを言っていた気がする。

一度、下駄箱の近くで 耳を引っ張られた。
手加減を知らないので 思いきり、痛い。

「なんで こんなところに」 と思いながら、逃げた。

皆の耳を引っ張ること は 彼女がよくやることだった。

……

公衆の前で 上半身 脱ぐ。 これは 見る側からしても セクハラだと思うので、やめて頂きたかった。

いつも付いている先生が 怒っていても、やめない。

周囲の反応を見て、楽しんでいるのだろうか。
これも 一時的なものだろうか。

小学生で、年齢にしては 背も小さいし、ダウン症の人って身体的な成長があまりない、穏やか、遅い のでしょうか。

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中学

T君としておく。
私は あいつはアスペルガーか何かの発達障害だろうと思っていた。

彼はよく先生に怒られていた。
進路指導の先生に小1時間ほど 怒鳴られていたため、担任の先生が 「怒りすぎだよね。宥めてくる」とか言って 指導室に行ったら、結局 2人で 怒って帰ってきた。
泣いてんじゃん。 かわいそう と思った。


殴れ と言われて殴る。

誰か に 「Rを殴れ」 と言われたT君は その言葉通りに Rを殴っていた。
手加減をしていなさそうだった。 Rが痛いから やめて と言っても 執拗に殴っていた。

先生が見ていたら、怒られるのは Tだけか。

給食の時 彼らが 私の目の前の席なので
目前でこのような 光景が繰り広げられていた。

 

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精神障害?の人

たまに急に叫んだり暴れたり していて困った者だった。
だいたい 曇りの日。)


私は 彼に 付き纏いのセクハラを受けていた。

1カ月ほど 毎日 懲りずに。

私は 場面緘黙症の残りカスを引きずっていて、喋ることができず、強く出ることもできなかった。

無視するのが一番だと思っていた。


身体的接触はなくとも、セクハラは 精神的ダメージが 思ったより大分きついということが分かった。

受験シーズンで 先生方は 忙しそうなので、相談のようなことをして 手間をかけさせるわけにはいかなかった。

そして、相談しても 叱るだけで 無意味と思った。

自分の受験勉強の時間も取られたくない。


卒業まで あと少し
なので、このまま 我慢し続けること だと思っていた。

しかし、精神的な限界を迎え、親に 少し相談してみた

「好きなんじゃない?」という とんでもない返答が返ってきた。

ああ こいつに相談した 私が悪かった。

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卒業まで それは続いた。

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たまに 電車などで 似た形の人を見つけると 怖さが蘇ってしまう。

体が大きいから 怖い。


本当に一回だけ ばったりあったことがあるようで
話しかけられたけど、気づかないフリをして 勉強。

使わない駅で 降りて、一応 撒いた。

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また
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セクシュアリティの面で

僕、女の子じゃないのに。 みたいな ツラさもあった。

認めない。

気にしない。気にしたくない

 

ーー

そんな目に遭っている 自分を 認めたくない気持ち

未だに 緘黙症を克服できず、話すこともできない 自分の弱さ

これが 悔しく

ーー

 


高校


入試の制度上 ASDの人が集まりやすい高校だった。


私が観測したところ、私を含めて クラスに5人はいたと思う。

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私は (同性で) 変わったところがある子に 惹かれるようで、
ある一瞬にときめいていた。

好きな人の1人や二人できた時に やっと 「もっと皆と喋って交流しておけば良かった」と思うが
時すでに 遅しで、難しいかもしれない。

見てるだけ、聞くだけ で終わる。

まぁ それでも良いかと思っている。

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学校に来て、一言も喋らない子は 私を含めて 3人くらいいた。

怒られたら倒れる子、周りにアスペと言われている子 ……

恥ずかしがり屋の学級委員さんから、新しい宗教のようなものを作って 説法している者もいた。  (私は 彼女のことが結構好きだった。 )

手の銀の固定を カッコいいと言われた時は 結構嬉しかったよ。 

同性カップルもいた。お昼に何も食べない人もいれば、休み時間に料理を作る者もいた。

この高校は 色々な人がいた。
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退学者は4人 /このクラス (3年累計)
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#思い出

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